日米和親条約

日米和親条約は、1854年に日本とアメリカの間で結ばれた条約である。本文と附録の2つの文書により構成され、本文を「神奈川条約」、附録を「下田条約」と呼ぶ。この条約の主な内容は以下の通り。

下田港・函館港への来航許可 当時、徳川軍事政権下の日本国は、いわゆる鎖国政策を敷き、琉球・アイヌ・清・朝鮮・オランダとの管理貿易を特定地においてのみ行っていた。神奈川条約では、これらに加えて、日本国の東の隣国であるアメリカ合衆国の船が来航することを許可した(神奈川条約2条)。来航目的は補給に限られ(同条)、主として商船と捕鯨船の来航を予定している(下田条約2条)。下田港は1854年、函館港は1855年に開港される旨が定められている。下田港では、上陸地点として3箇所が定められた(下田条約2条)。下田港・函館港以外への来航は、難破船を除いて禁止された(神奈川条約10条)。

下田・函館におけるアメリカ人居留区域の設定 来航者の居留区域として、下田港周辺7日本里、函館港周辺5日本里が設定された(神奈川条約5条、下田条約11条)。居留者は、居留区域内は自由に移動できた(神奈川条約5条)。居留区域には日本法が適用され、その執行は日本国の役人が行った(下田条約1条但書)。アメリカ人は日本国の役人に対して丁寧を尽くすものとされ(下田条約2条)、法令違反者は日本国の役人により居留区域から追放された(下田条約1条但書)。居留区域内に日本国が関所を設けることは可能とされ(下田条約1条)、市場・店舗・寺院の訪問は自由とされる一方、武家・町家の訪問は禁止された(下田条約3条)。下田の居留区域内には、休息所や埋葬所も設定された(下田条約4条、5条)。遊猟は日本法にのっとり禁止された(下田条約10条)。合衆国の役人の駐在も認められた(神奈川条約11条)。漂流民についても、下田・函館に護送するものとされ(神奈川条約3条)、来航者に準じた待遇がなされることとされた。

通商の禁止 来航者の経済活動は、原則として、薪水・食料品・石炭・欠乏品の補給に限られ、民間の通商は禁止された(神奈川条約8条)。補給については、日本国が管理する方法で行われ(下田条約9条)、価格決定権は日本国が有した(神奈川条約2条2項)。支払手段は金貨または銀貨とされた(神奈川条約2条2項)。代物弁済も可能とされたが、日本側はこれを拒否することができた(神奈川条約7条)。なお、函館においては、石炭の供給義務が免除されている(下田条約6条)。

片務的最恵国待遇 日本国が合衆国以外の国に認めた権利は、合衆国に対しても自動的に認められることとされた(神奈川条約9条)。

使用言語 両国間の連絡には、原則としてオランダ語通訳が使用されることとされ、漢文翻訳は補充的にのみ使用されることとされた(下田条約7条)。